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予感と実感の季節感…暑さのなかの立秋

2021/08/09

 8月7日の立秋が過ぎ、いわゆる「暦の上では秋の始まり」。しかし、まだまだ暑さの真っ只中。今年は特にムシムシ感が強く「蒸暑」といったところか。立秋の日の甲府の最高気温をさかのぼると、今年2021年は33.6℃、昨年は33.4℃、以下36.2℃、32.9℃、32.2℃、36.0℃、36.2℃、35.2℃、38.5℃、35.0℃。ここ10年を並べただけでも汗が吹き出る気温ばかりだ。いったいなぜ、こんな暑いにもかかわらず立秋なのか。高い不快指数の中で、ぼんやりと考えてみた。

 「暦の上では秋」の暦は、いわゆる旧暦。明治6年の改暦で現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に変わるまで使われていたもので、現在の暦を新暦というのに対して旧暦と呼ばれる。「旧」とはいえ、日本では古代中国から伝わって以来1000年以上も使われてきた暦(当然、何回かリニューアルされている)で、歴史的に言えば、導入してたかだか150年にも満たない新暦の方がまだまだ「新参者」だ。ミレニアムの歴史がある旧暦の風習が、新暦になっても、ちょくちょく顔を出すのは当然とも言える。立秋がある二十四節気もその一つ。

 旧暦では1月、2月、3月が春で、4月、5月、6月が夏。秋は7月、8月、9月で冬が10月、11月、12月となる。旧暦を新暦に置き換えるとざっと1カ月のずれになるので、旧暦の秋を、新暦に置き換えると8月、9月、10月となる。だが、今の季節の区切りで言うと秋は9月、10月、11月なので、旧暦の秋は1カ月早い。この違いが、暑いさなかの「暦の上の秋の始まり」になっている。ちなみに二十四節気は、月の満ち欠けを基本にする旧暦の中で、太陽の動きを伝える太陽暦的存在で、両者を組み合わせた旧暦は太陰太陽暦と言われる。

 旧暦で、今の8月を暑さにかかわらず秋に組み入れたのは何故だろうか…。思うに、気配、予感を重視していたからではないか。気温はピークのただ中だが、光は夏至を過ぎて既にピークアウトしている。まだ太陽のパワーを盛んに感じるなかに、その衰えをフッと五感で感じる瞬間がある。高い空に掃いたようなすじ雲、木陰を吹く風のさわやかさ、草むらから秋の虫の音、朝晩の涼しさ…。暑いなかにも確かに秋の気配、予感が顔を出す。

 今の季節の区切りは気温を重視した「体感、実感の季節感」なのに対し、旧暦の季節は変化の兆しを重視した「気配、予感の季節感」と言えそうだ。フッと思い浮かぶ言葉がある。
 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(江戸の俳人服部嵐雪の句)
 「一葉落ちて天下の秋を知る」(中国の故事成語)
 寒さが厳しい中に春の気配を感じる句であり、たった1枚の葉っぱに秋の到来を読み取っている。旧暦の時代から、変化に敏感な感性が根付いている。

 気象の世界のみならず、科学の世界も、人間社会も激変の時代。変化の兆しを読み取る繊細な感性を持ち続けたい。暑さにぼんやりとしながら、そんなことが頭をよぎっていた。